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石和温泉で癒される|泉質・効能・日帰り温泉・宿泊案内

石和温泉で癒される

装飾

石和温泉について

  • 温泉イメージ

    とろける湯ざわり、
    素肌よみがえる美肌の湯

    果樹が実る甲府盆地の扇状地から湧き出す石和温泉は、古くから「美肌の湯」として親しまれています。pH8.5〜9.5のやさしい肌あたりのアルカリ性単純泉は、なめらかでとろりとした湯ざわりが魅力。全身をやさしく包み込み、入浴後はしっとりと潤う素肌へ導きます。

石和温泉の泉質・効能

  • 湧出 毎分2000リットル(ドラム缶10本)温度は49℃
    泉質 アルカリ性単純温泉
    効能 神経痛・筋肉痛・関節痛・打ち身・慢性消化器病・冷え性・疲労回復・痛風

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温泉コラム

源泉かけ流しとは

源泉かけ流しとは、お湯を循環させない温泉のことを指します。新しい源泉を常に浴槽内にあふれさせ、お湯の再利用は一切行いません。
ただし、「源泉かけ流し」という表記について温泉法で明確な定義が決まっているわけではありません。
施設や地域によって細かな認識方法は異なるため、あくまで一般的な認識だと覚えておきましょう。

「源泉100%かけ流し」との違い

源泉かけ流しと源泉100%かけ流しの違いは、「加水、加温、塩素消毒を行っているかどうか」ということです。
源泉かけ流しの場合は、成分が変わらない程度のわずかな加水、加温、塩素消毒を実施していることもあります。
お客様に、適温で入浴してもらうためです。これに対して源泉100%かけ流しは、源泉に対して一切の調整をしていません。


表記調整の有無備考
源泉かけ流し加水・加温・消毒を一部行う場合あり成分を損なわない範囲で調整
源泉100%かけ流し一切の調整なし源泉そのままを使用

「温泉かけ流し」との違い

源泉かけ流しと温泉かけ流しの相違点は、注いでいるお湯が源泉か温泉かの違いです。
「温泉」という表記の場合は、成分に変化が出るような加水や加温も可能になります。
どちらの場合も、お湯を常時浴槽に注ぎ続け、あふれさせている状態であることは変わりません。

天然温泉と人工温泉

天然温泉
源泉かけ流しと天然温泉の違いは、「お湯を循環して再利用しているかどうか」ということです。
天然温泉は源泉かけ流しと違って、温泉量調整のためにお湯を再利用できます。
新鮮な温泉を楽しみたいなら、源泉かけ流しの温泉を選ぶといいでしょう。

表記お湯の循環ポイント
天然温泉再利用あり源泉使用だが循環式
源泉かけ流し再利用なし常に新鮮なお湯


人工温泉
天然鉱物由来の薬剤や鉱石などを入れたお湯のことを、人工温泉と呼びます。本物の温泉とは異なり、人間が人工的に作った温泉です。
温泉法上では温泉とは認められないため、泉質表示や禁忌症の掲示も不可能となっています。
これに対して源泉かけ流しは、温泉法でも認定された正真正銘の温泉です。

源泉

「源泉」とは、「地表から湧き出た温泉」あるいは「温泉が湧き出た場所」のことです。
ちなみに温泉が噴出する方法には、おもに3つの種類があります。

種類内容
自然噴出地盤の割れ目から、自然と源泉が湧き出ること
掘削自噴ボーリングによって源泉を掘り当て、水圧で噴出させること
掘削動力揚湯ボーリングによって源泉を掘り当て、ポンプを使い吸い上げること

かけ流し

かけ流しとは、お湯を浴槽の中に注ぎ続けてあふれさせることをいいます。
お湯を再利用しないため、常に新しいお湯を楽しめます。

加温・加水

加温とは、源泉を湧出温度以上に熱して浴槽に注ぐことです。
温度を上げるために、源泉をボイラーや熱交換器で直接加熱したり、源泉に温水や熱水を加えたりします。

加水とは、源泉に対して水道水、井戸水、湧き水、河川水、湖の水、海水などを加えてから浴槽に注ぐことです。

循環式・循環濾過式

循環式とは、ポンプなどを使って浴槽のお湯を浴槽外に汲みだしたあと、もう一度浴槽に戻して再利用することです。
一度汲みだしたお湯の汚れやゴミを濾過器などで除去している場合は、循環濾過式と呼ばれます。

石和の歴史について

石和の地名

石和の地名由来は諸説あり、その中でも「石→胆沢→井澤→石和」となる説が古文書に残っている。
また、墨書で「石禾東」と書かれた土器が一宮松原遺跡で発掘されている。一帯は「石禾郷」と呼ばれていた。土器は千数百年前のものと推測される。

石和町の歴史と武田氏

石和温泉駅前(現イオン石和店あたり)から縄文前期の土器が採取された。石和温泉駅周辺で古代人が生活していた様子が土器から推測される。
以後武田の時代に入り、明応3年(1494年)、信玄公の父信虎が岩下館(笛吹市春日居町)で誕生。
大永元年(1521年)、信玄公、要害城(甲府市上積翠寺町)に生まれる。
その後天正10年(1582年)に、織田信長の手勢により、石和八幡神社、観音寺、八田屋敷ともに焼失。

石和の歴史に縁のある場所

・大蔵経寺・・・仏涅槃図。その後甲斐国守武田信成が、七堂伽藍を建立した由緒ある寺。養老年間717~724年僧侶行基により創建。
・石和八幡宮・・・応神天皇、仲哀天皇、神功皇后の3神を祭神とする。鎌倉時代、石和信光が鶴岡八幡宮を勧請したといわれる。
・鵜飼山遠妙寺・・・文永年間、日蓮上人がこの地で鵜飼勘作の亡霊を済度。「鵜飼伝説」謡曲「鵜飼」の舞台となる。

鵜飼勘作伝説

今から750年以上前の文永11年(1274年)、日蓮上人は法華経を広めるべく甲斐国を巡り歩き、石和の地に立ち寄りました。そこで出会ったのが、鵜を使って漁をしていた男の亡霊。殺生禁断の地である観音寺境内を流れる石和川で漁をしたために簀巻きの刑に処され、成仏できずにさまよい続けていたその亡霊のために、日蓮上人は弟子に三日三夜をかけて法華経一字ずつを小石に書かせ、川底に沈める供養を行いました。その男の名が、鵜飼勘作(うかいかんさく)です。

この話は鎌倉時代末には関東一円に広まり、やがて室町時代の能の大成者・世阿弥が謡曲『鵜飼』として舞台に結実させました。さらに江戸時代には近松門左衛門が浄瑠璃に取り上げ、「勘作」という名を与えたとも伝えられています。石和という一地方の出来事が、日本の古典芸能史にこれほど深く刻まれた例は、他にほとんどありません。

供養に使った硯の水を汲んだ井戸は、今も万年橋右岸に「御硯水(おすずりみず)」として残り、勘作の霊を祀る漁翁堂と鵜飼山遠妙寺はその起源をこの伝説に持ちます。遠妙寺の経石は、江戸時代の百科事典『和漢三才図会』にも「甲州の名物」として記され、明治の学術誌でも「歴史上最も有名な経石」と評されました。

そして現在も、石和では毎夏、笛吹川でその伝説の地を舞台に鵜飼が行われています。しかもその漁法は、鵜匠が舟に乗らず川岸を歩きながら鵜を操る「徒歩鵜(かちう)」という、全国12か所の鵜飼の中でも石和だけが伝える極めて希少なスタイルです。 伝説は750年を経ても生きています。石和の鵜飼は、文学・宗教・漁の文化が一本の川のほとりに重なり合う、唯一無二の遺産です。

History Image 04

■鵜飼堂おすすり水(写真:左、真ん中)
所在地 / 山梨県笛吹市石和町市部682
電話 / 055-262-4591

■観音寺(写真:右)
所在地 / 山梨県笛吹市石和町松本610
電話 / 055-262-2100

笛吹権三郎 伝説

今から600年ほど昔、上流の芹沢の里(現在の山梨市三富村上釜口)に、権三郎という若者が母と暮らしていました。鎌倉幕府に追放された父を求めて甲斐の地に辿り着いた二人でしたが、権三郎は笛の名手として里人に愛され、いつしか「笛吹権三郎」と呼ばれるようになっていました。

ある年の7月、長雨で近くを流れる子酉川が氾濫し、権三郎母子の小屋を一瞬で呑み込みました。若い権三郎はかろうじて助かりましたが、母の姿はどこにも見当たりません。権三郎は母が好きだった曲を吹きながら、川沿いを日夜さまよい続けました。その笛の音は里人の涙を誘いましたが、ついに力尽きた権三郎は、自らも川の深みに沈んでしまいます。変わり果てた遺体は、手にしっかりと笛を握ったまま、はるか下流の小松の河岸で発見され、村人の手によって長慶寺に葬られました。

それから間もなく、夜になると川の流れから美しい笛の音が聞こえてくるようになり、里人はいつしかこの流れを「笛吹川」と呼ぶようになりました。

日本三大急流・富士川の支流として山梨を貫くこの川が「笛吹川」と名付けられたのは、そして笛吹川が流れる石和温泉郷地域が2004年に「笛吹市」となったのは、すべて一人の若者の孝心と悲しい最期が起源です。山梨出身の作家・深沢七郎はこの川を題材に小説『笛吹川』を書き、1960年には木下惠介監督によって映画化もされています。伝説は今も、川の名となって石和の地を静かに流れ続けています。
History Image 08市内にある様々な笛吹権三郎の銅像

参考文献

長沢宏昌編 長沢日哉発(1980)『鵜飼山山史』
東八代広域行政事務組合(2002)『東八メモリーズ こんなものがあった』p.8,11-17.
笛吹市教育委員会(2009)『甲斐国千年の都 笛吹市』p.8-9,30,34,43-44,48,73,79

年表

1956年(昭和31年)小松遊覧農場の敷地内で井戸を採掘したところ40℃以上の温泉が湧出。「ウインズ石和」の入口付近には「石和温泉発祥之地」の碑が建っている。
1961年(昭和36年) 石和温泉湧出。温泉は川へ流れ青空温泉の誕生。井戸の掘削中に毎分1200リットルの高熱温泉が噴き出る。
1963年(昭和38年) 石和ぶどう温泉観光協会を設立。(現石和温泉観光協会の誕生)駅前通りに観光案内所を設けた。
1979年(昭和54年) 川中島合戦戦国絵巻が毎年開催される。
1987年(昭和62年) 「新日本観光百選」にて3位になる。
2002年(平成14年)67℃の新たな源泉が噴き出る。
2002年(平成14年) 春日居足湯施設が誕生。
2004年(平成16年) 石和小林公園足湯「石和宿」が誕生。
2007年(平成19年) 石和源泉足湯ひろばが誕生。
2008年(平成20年) 石和温泉駅前公園足湯施設が誕生。
2010年(平成22年) 1月30日を(いさわ温泉)の日と決める。

葛飾北斎 『富嶽三十六景甲州伊沢暁(ふがくさんじゅうろっけい こうしゅういさわのあかつき)』


富嶽三十六景甲州伊沢暁
葛飾北斎による「富嶽三十六景 甲州伊沢暁」は、甲州・石和の宿場から望む、夜明け直前の風景を描いた作品です。
舞台となる伊沢は、現在の山梨県笛吹市・石和温泉周辺にあたり、かつては甲州街道の宿場町として多くの人々が行き交った場所でした。画面には、その宿場の背後を流れる笛吹川と、その先に広がる富士山の姿が、近景・中景・遠景の構成で巧みに配置されています。

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